東急田園都市線の桜新町駅から徒歩7分ほどの閑静な住宅地の中に、王冠を模したデザインの塔がどっしりと建っています。これは「駒沢給水所」の給水塔であり、1924年に建設された近代化遺産です。給水所の敷地の中には塔が2基建てられており、街のシンボルとなっています。
設計は中島鋭治氏。日本の近代水道の父と呼ばれた建築家です。
今回はそんな駒沢給水所の給水塔の建築を紹介します。
王冠をイメージした給水塔のデザイン
桜新町駅から水道のみちを進むと、王冠デザインの給水塔が見えてきます。
給水塔は、高さ約30mの鉄筋コンクリート造であり、内径12.12m~14.55m、有効推進18.18m、容量は2,750㎡にもなります。実に約3,000トンもの水が、2基の塔に貯留されています。
そんな給水塔が、様々な装飾によって近代の西洋建築らしさをかもし出ています。王冠を模したデザインの給水塔は丘の上のクラウン
と呼ばれ、周辺住民や建築好きに親しまれています。
円柱形の建物の外周に、12本のピラスター(付柱)があり、柱の頭部には装飾が付けられています。そしてピラスターの上には、軒蛇腹(のきじゃばら)と言われる出っ張りが施され、その上には飾り窓が柱と柱の間にひとつずつ設けられています。
各ピラスターの頂上部には、直径53㎝にもなる薄紫色のグローブが装飾されています。グローブとは、ランプの保護や、光の拡散、光色を変化されるための装置です。
塔の内部を見ることは出来ませんが、中央に6本の支柱が立っており、鉄筋コンクリートの屋根を支えているそうです。
頭頂部のドームは少し離れると見やすいのですが、四阿(あずまや)のように作られており、ドーム屋根を乗せています。
円柱形の建物とその周囲をピラスターを付けることで、西洋建築風のデザインが出来上がり、ドーム屋根とその周りのグローブによって、王冠のようなデザインを作り上げています。
敷地の東側から見ると、2基の給水塔が立っている様子が見えます。手前に木々が生い茂っていますが。。2基はトラス橋でつながっており、その様子もここからだとよく分かります。
普段はセキュリティ上の理由から公開されていませんが、年に1回、10月頃に一般公開されているようです。
設計者の中島鋭治氏は、2度のヨーロッパ出張をしており、そこでの経験があることで、シンボルとなる給水塔デザインが出来上がっています。一度は、内部を見学してみたく、せめてもう少し近づいて鑑賞してみたいものです。
大正時代に建設されてから近代化遺産になるまで
給水塔は渋谷町への送水を目的として、1921年5月〜1924年3月にかけて建設されました。世田谷区内では標高の最高地点に近い地域で建設され、砧下浄水所から送水された水を、ポンプで給水塔に貯留した後、標高差を利用して自然流下にて渋谷町へ給水する仕組みです。
渋谷町の人口増加に伴って、1931~1932年に大規模拡張工事を行っています。そして1933年には、第一配水ポンプ所が増設されました。そんな給水塔が1999年まで使われ、老朽化によって給水所としての役割を終えました。現在では、非常時用の応急給水槽として使用されています。
これまでグローブ(装飾電球)の復元や、トラス橋の塗装替え、補強や補修などが行われ、大切に保管され続けました。そして2012年、給水塔は第一配水ポンプ所と共に、土木学会選奨土木遺産として認定されました。
ちなみに第一配水ポンプ所は、南側の正面入口から少し見ることが出来ます。
画像右側にあるレンガ造りの建物が、第一配水ポンプ所です。このポンプ所は、岩崎富久が設計しています。
ちなみに給水塔は3基作る予定で計画され、設置場所は確保されていたものの、建設は実現しませんでした。上空から見ると、あと1基分のスペースがあることがよく分かります。
閑静な住宅街にどっしりと建つ王冠デザインの給水塔。建設から100年近く経つ塔が大切に保管され、今後も街のシンボルとして生き続けることでしょう。
建築概要
設計 | 顧問:中島鋭治 補佐:仲田総治郎 |
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建築面積 | 約140㎡ |
高さ | 30m |
構造 | 鉄筋コンクリート造 |
工期 | 1921年5月〜1924年3月 |
ご利用案内・アクセス
住所 | 東京都世田谷区弦巻2-41-5 |
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アクセス | 東急田園都市線 桜新町駅 徒歩7分 |
参考元:
・駒沢給水所の配水塔 | 広報・広聴 | 東京都水道局
・世田谷区ホームページ
・駒沢給水塔風景資産保存会(コマQ) – ニュース
・駒沢給水塔の見える場所を地元民が解説! | 世田谷ローカル(SETAGAYA LOCAL)
・駒沢給水所配水塔 | 廃墟系