池袋駅からわずか徒歩5分の住宅街に、幾何学的デザインを基調にした建物に、広々とした芝生がある都心とは思えない静かな雰囲気のある重要文化財の「自由学園明日館」があります。
自由学園は、羽仁吉一(はに よしかず)氏・羽仁もと子氏により、1921年に女学校として創立しました。
1934年に生徒の増加に伴って自由学園は東久留米市に移転し、池袋の自由学園は卒業生の活動の場として使われ、日本の教育の明日を託して、羽仁夫妻が「明日館」と命名しました。
設計は、アメリカ人の世界的建築家フランク・ロイド・ライト氏と、その弟子の遠藤新(あらた)氏です。ライト氏は、愛知県にある帝国ホテルなどを手がけています。
今回はそんな自由学園明日館の建築を紹介します。
創建から文化財指定までの歴史
羽仁夫妻は、自分たちが手がけていた出版社の事務所と自宅を建設するため、1,826坪(約6,036㎡)の土地を借り、内40坪(132㎡)が自宅兼事務所を作りました。自宅と事務所を作るには広すぎますが、これだけの広い土地を借りたのは、羽仁夫妻の学校をつくるという夢があったからです。
羽仁夫妻は、知り合いの建築家・遠藤新氏に学校建築について相談したところ、遠藤氏の師匠であるライト氏に依頼することを提案しました。ちょうど同時期に帝国ホテルのプロジェクトが進められており、遠藤氏はライト氏の下でアシスタントをしていたので、羽仁夫妻をライト氏に紹介することとしたのです。
ライト氏は帝国ホテルを手がけていたのですが、羽仁夫妻の教育理念や熱意に共感し、自由学園の設計を快諾し、とても楽しそうに取り組んでいたそうです。
日本にはライト氏の建築が4つだけなので(他3つは帝国ホテル、林愛作邸、ヨドコウ迎賓館)、とても貴重になる建築が誕生しました。
ただ、ライト氏は工事途中で帰国することとなり、設計監理は弟子の遠藤新氏に引継がれ、建物は完成しました。
太平洋戦争末期になると、空襲で池袋周辺は壊滅的被害を受けますが、明日館の周辺は被災を免れました。もともとメトロポリタンのところにあった鉄道教習所のグラウンドが火除地となったり、近所の人達の懸命な消火活動のおかげと言われているそうです。
戦後、さすがに老朽化が進んでしまい、1965年を過ぎた辺りになると取り壊しの声が出てきました。自由学園の資金面を考えると修復保存が出来ないと言われており、また、文化財に指定されると補助金は出るものの、所有者の自由が全くなくなるという事もあり、明日館は絶体絶命のピンチを迎えました。
しかし、建築家および多くの関係者などが保存運動団体を発足して資金集めをしたり、文化庁から文化財指定を受けても建物を使いながら保存するという考え方を示されたこともあり、1997年5月に重要文化財指定を受け、保存が決定しました。
明日館を想う多くの人の思いが通じ、現在でも結婚式や展示会などに利用されています。
文化財指定後、1999年から2001年にかけて保存修理工事が行われたのですが、築80年以上を経過した木造建築は傷みが激しく、半分解体工事と言われるほどの大変な工事となったそうです。
明日館に展示されていた修理工事前の写真を見ると、あらゆる箇所が朽ち果て、取り壊しの声が上がるのも無理はなかったのかなと思います。
外観
都会の高層ビルが建ち並ぶ中でひっそりと佇む明日館は、高さを抑えて水平線を意識し、屋根、窓、ドアなどあらゆる場所に幾何学的デザインが施されています。これは、フランク・ロイド・ライト氏の建築の特徴でもあります。ライト氏の建築は高さを抑えることで自然との調和をとっています。
屋根は切妻造りの鉄板葺きとなっており、建物中央の屋根勾配が、窓の格子デザインの勾配と合わせています。
ちなみに、外部の木造部分の塗装は緑色ですが、修理前は茶色だったそうです。食堂改築部分から緑色の転用材が出てきたこと、当時の生徒が描いた木造部分が緑色だったことから、創建当時の緑色に塗装されました。
明日館では、多くの大谷石(おおやいし)が使われており、外観ではアプローチは外壁下部などに使われています。
栃木県宇都宮市大谷町で採れ、軟らかいので加工しやすく、重量は軽く、耐火性もあり、価格も安いというメリットの多い石材です。
後ほど記述していますが、内観の廊下などにも多くの大谷石が使われています。
外部通路に設置してある電灯や、通路屋根の天窓など、あらゆる箇所に幾何学的デザインが施されており、探してみるのも良いかもしれません。
入口・廊下
入口や廊下の床にも大谷石が使われており、外部との連続性を持たせています。
木製の下駄箱はレトロな雰囲気があり、穴に指を突っ込んで開けるスタイルとなっています。
内部の建具などの木造部分は外部と違い、茶色で塗装されています。廊下は日差しがふんだんに入り、かなり明るい空間になっています。
斜めに抜かれた幾何学的な天窓が、窓が少ないところも明るく照らします。
床の高さを少しずつ変えた部屋を連続させるプレーリースタイル(草原様式)と呼ばれる作りも、ライト氏の建築の特徴であり、連続性のある空間を作っています。
教室
教室では、床材はほとんど修理工事で張り替えてされましたが、一部、創建当時の米松の床材が残されています。修理工事のときに全教室から使えるものを一部屋に集めて張られましたが、それでも一部屋の3分の2程にしかなりません。
画像奥のツルツルとして床部分は修理工事で新しく張られた床材で、手前の年期の入った部分が創建当時の床板です。
湿気の多い日本では、地面から床板の間を開けて、通気口によって湿気がこもらないようにしているのですが、明日館の場合は大部分が地面と教室の床が同じ高さになっています。そのため、床板の傷みが激しかったものと考えられています。
明日館で使われていた椅子が並べられています。こういった家具にも幾何学的デザインが使われており、この学校に相応しいデザインです。
ホール
ホールにあるこの大窓は、明日館の顔とも言える部分であり、最も感動するところになるかと思います。
廊下からホールに入ると、天井の低いところから天井の高いホールに出るので、より開放感が増します。
ホールの窓は、保存修理の工事が行われる前と、現在とでは窓枠のデザインが違います。
こちらが修理工事前の写真。1947年頃に下から3分の1あたりに中敷居を入れて、小さな窓に変更されています。台風の多い日本では強風で窓ガラスが割れるリスクがあったため、このように変更されたようです。
修理工事では、文化財修理は極力オリジナルに戻すという原則があり、古い図面、写真などをもとに復元されています。
窓ガラスは基本的に風の力だけで割れる事はなく、物がぶつかってこない限りは割れません。
やはり中敷居を外した現在の姿は、ホールにより開放感をもたらします。
ホールには、教室にあった同じ椅子が置かれています。
ホールの大窓の反対側には、暖炉があります。ライト氏は火のあるところには人は集まり、団欒の場を共有するのだ
という考えを持っていたため、ライト氏が手がける建築は暖炉を多く設けています。明日館にも5ヶ所に暖炉を設けています。
この暖炉にも、外部アプローチや廊下の床などに使われていた、耐火性のある大谷石が使われています。
大谷石の素材の見た目が、暖炉のある空間にもよく合っています。
食堂
羽仁もと子の願いとして、学校で子供たちの心と体の健康を支える昼食を食べさせる工夫は出来ないかという考えを持っていました。そこで、生徒自身が昼食をつくり、それを生きる力を磨く勉強の機会にすることで実現されました。それ以来、自由学園ではこういった食の学びが文化として根付いていきました。
この食堂にも例外なく、ライト氏の幾何学的デザインが随所に施されています。
食堂の電球は当初、食堂の四隅の照明を付ける予定だったそうですが、ライト氏が工事現場を訪れた際、生徒がここで食事をする様子を想像したところ、天井まで高さがあるため、間の抜けた空間が出来てしまうと感じ、画像のような吊り具の電球を付けるようにしたそうです。
この吊り具にもまた、窓枠や屋根などあらゆる場所と同じ勾配の線を用いた、幾何学的デザインが施されています。
学校設立3年目になると、生徒が増えて食堂に入りきれなくなり、遠藤新氏によりテラスだった所に屋根を架け増築されました。増築前の写真と比較してみると、増築部分が分かると思います。
学校設立時は校舎が完成したのが一部であり、全体が完成したのが学校設立から4年後のことになりますが(講堂を除く)、保存修理工事では校舎全体が完成した時点を基準に復元しているので、食堂は増築された状態になっています。
こちらが増築された部分です。中央部分と違ってこじんまりとしているので、こういった空間の方が落ち着くという人もいるかと思います。
食堂にも、大谷石が使用された暖炉が設置されています。大谷石で作ると暖かみがあります。
食堂にある椅子も、明日館の雰囲気に合わせたデザインになっています。
フランク・ロイド・ライト ミュージアム
食堂から階段を数段上がった場所に、フランク・ロイド・ライト ミュージアムがあり、明日館の模型などが展示されています。
あらゆる場所にライト氏の幾何学的デザインがあるので、模型製作はさぞかし楽しかったのではないかと思います。
フランク・ロイド・ライト氏の原寸大パネルと、ライト氏がデザインした照明が置かれていました。照明は、テレビドラマやCMなどでよく見かけます。
講堂
学校が設立された6年後の1927年、生徒の増加によりホールが手狭になったため、遠藤新氏によって講堂が作られました。既にアメリカに帰国したライト氏の意思を尊重し、講堂にも幾何学的デザインが幾多にも施されています。
道を挟んで向かい側に建つ講堂も、屋根は切妻造りで、鉄板葺きとなっています。ただ、木造部分と屋根は茶色で塗装されています。
現在も、挙式や講演会などで使われてきています。
電灯や柱、アプローチの部分も、最初に作られた校舎とデザインが同じです。
講堂内部は、中央の床の低い平土間と、両側の天井の低い高土間を持つ空間構成になっています。この構成は三枚おろしと呼ばれています。
両側を高くすることによって、中央ステージが見やすくなっています。
講堂の窓などにも、ライト氏と同じ幾何学的デザインを施しており、遠藤新氏が師匠を尊重していることがよく分かります。
講堂にも、座席後方に暖炉が設置されていました。
2015~2017年には耐震補強工事が行われましたが、工事を行う中で、昭和初期の洋式便器がほぼそのままの状態で出てきました。今では貴重であるため保存されています。
木製の便座、木製の水洗タンクという今ではなかなかお目にかかれない設備です。ペーパーフォルダの位置が後ろにあり、日本に洋式トイレが導入されしばらくは逆向きで使用していたという説があるようです。今でも後ろ向きで座っている人もいるかもしれませんが。。
後方の2階席からステージを見た様子です。手前の手すりによってちょうど観客席が隠れ、ステージに集中出来るよう計算されています。
講堂は遠藤新氏設計ではありますが、ライト氏の作風を思い起こさせるデザインです。
この講堂とともに、重要文化財に指定された自由学園明日館。ライト建築の特徴が詰まったこの建物は、建築ファンであれば一度は訪れて損はない建築です。
建築概要
設計 | 中央棟、東教室棟、西教室棟:フランク・ロイド・ライト、遠藤新 講堂:遠藤新 |
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敷地面積 | 2820.1㎡ |
建築面積 | 中央棟:639.6㎡ 東教室棟:179㎡ 西教室棟:178.9㎡ 講堂:403.3㎡ |
階数 | 中央棟:平屋建て、一部2階 東教室棟:平屋建て 西教室棟:平屋建て 講堂:平屋建て、一部2階 |
構造 | 木造(全棟) |
工期 | 中央棟:1921年 東教室棟:1925年 西教室棟:1922年 講堂:1927年 |
ご利用案内・アクセス
見学時間 | 通常見学 :10:00~16:00(入館は15:30まで) 夜間見学日:毎月第3金曜日18:00~21:00(入館は20:30まで) 休日見学日:10:00~17:00(入館は16:30まで)※月1日程度。詳細は公式サイトをご確認下さい。 |
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休館日 | 月曜日(月曜が祝日の場合はその翌日)、年末年始 |
入館料 | 喫茶付見学:800円 見学のみ :500円 夜間見学・お酒付:1200円 ※中学生以下無料 |
電話 | 03-3971-7535 |
住所 | 東京都豊島区西池袋2-31-3 |
アクセス | 各線 池袋駅 メトロポリタン口より徒歩5分 JR線 目白駅 徒歩7分 |
※2021年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトでご確認下さい。
参考元:
・重要文化財 自由学園明日館
・大谷石と暖炉の『自由学園明日館』 | 株式会社NAOMI建設|町田にある建設会社
・詳細情報 : 東京都文化財情報データベース