「川崎大師」の建物【vol.1(大山門・大本堂エリア)】

03.歴史的建築
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日本でも有数の参拝客数を誇る「川崎大師」は大寺院なだけあって、境内には20を越える建物があり、厄をことごとく排除する厄除け大師として知られています。

正式名は金剛山金乗院平間(へいけん)寺といい、1128年に武士の平間兼乗(ひらまかねのり)が、海から弘法大師の木像を引き上げ、尊賢上人(そんけんしょうにん)とともに寺を建立しました。

川崎大師の境内図

今回は数が多いため3回に分けてお送りします。本記事では上の境内図の右側、大山門・大本堂エリアの建築を紹介します。

その他のエリアについてはコチラから、是非あわせてお読み下さい。

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大山門

川崎大師の大山門

大山門は川崎大師メインの入口であり、開創850年の記念事業として、1975年(昭和50年)7月~1977年(昭和52年)11月にて建立されました。

設計は大岡實建築研究所であり、施工は大林組です。大山門や大本堂をはじめ、川崎大師の境内にある昭和から平成にかけて再建されたほとんどの建物は、大岡實建築研究所・大林組が手がけています。

一見、木造に見えますが、実際は鉄骨鉄筋コンクリート造となっており、横長平面である京都の東福寺の三門(さんもん)を参考に設計されました。

建物の幅は2層目の方が小さくなりますが、その事によって上部が貧弱になることを避けるため、2層目の軒の出を深くして、1層目と変わらない屋根の大きさにすることで、力強く壮麗な外観としています。また、屋根の軒の出が大きいため、隅の部分は屋根の荷重が大きくかかる事と、隅の部分が強固に支えられている感じを出すため、柱間が両端に行くにつれて狭くなっており、より力強さを感じる外観となっています。

川崎大師の大山門

こちらは、屋根の軒下(のきした)に組まれている部分で、一般的に斗拱(ときょう)と呼ばれます。雲形の意匠のある挿肘木(さしひじき)が三手先斗拱に組まれており、また、尾垂木(おだるき)については水平に組まれています。通常、他の寺院の尾垂木は斜めに組まれるのですが、鉄筋コンクリートの場合は斜めの材にするとかなり手間がかかるため、大山門の場合は水平になっています。

挿肘木は、木造の場合は柱に突き刺して組まれますが、鉄筋コンクリートの場合はくっつけただけのような雰囲気となってしまうため、長押を廻したりすることで、突き刺さっている感じを出すよう工夫されています。

川崎大師の大山門

2階の手すりは高欄(こうらん)と呼ばれ、マンネリ化を防ぐため、インドやネパールの組子をヒントにしてデザインされました。

架木(ほこご)平桁(ひらげた)の間は高くなりすぎないよう、花肘木(はなひじき)と呼ばれる、その名の通り花の意匠が彫刻された部材が採用されています。

川崎大師の大山門

中央には、正式名称にある金剛山の額が掲げられており、この部分は手すりが除かれていて見た目に配慮されています。

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納札殿

川崎大師の納札殿

こちらは大山門を入ってすぐ右の位置にある納札殿であり、お札・お守り納め所となっています。

工事期間は2001年(平成13年)8月~2002年(平成14年)12月の比較的新しい鉄筋コンクリート造の建物であり、大山門と同じく設計は大岡實建築研究所、施工は大林組です。

川崎大師境内の風景と調和させて、木造の寺院建築のような外観となっています。

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聖徳太子堂

川崎大師の聖徳太子堂

こちらは納札殿の近くにある聖徳太子堂です。日本に仏教を根付かせた聖徳太子像を祀っています。

木造の小規模な建物であり、方形屋根(四角すいの屋根)の銅板張りに四隅の丁度良い反り具合が、神聖で落ち着いた外観になっています。

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清滝権現堂

川崎大師の清滝権現堂

こちらは聖徳太子堂のすぐ近くにある清滝権現堂(せいりょうごんげんどう)です。京都・醍醐寺から勧請(かんじょう。神仏の分霊を迎えること。)した龍の女神・清瀧権現を祀っています。

木造の小さい建物ですが、前面の階段が立派です。

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お水屋

川崎大師のお水屋

こちらは大本堂へ向かう途中にある、手と口を清めるお水屋です。工事期間は1963年(昭和38年)6月~1968年(昭和43年)5月であり、ここもまた設計は大岡實建築研究所、施工は大林組です。

鉄筋コンクリート造であり、方形屋根の瓦葺きで、1つの寺院であるかのような立派なお水屋となっています。下部は、4本の柱を束ねてそれを四隅に配置し、瓦屋根を支えています。

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経蔵

川崎大師の経蔵

こちらは、仏教の経典を納める庫である経蔵であり、2004年(平成16年)5月に大開帳奉修(10年に一度ご本尊さまをお開帳し、供養を捧げ様々な法要が執り行われる儀式)を記念して建てられました。この中には7240冊もの経典が収蔵されています。

鉄筋コンクリート造であり、工事期間は2001年(平成13年)8月~2003年(平成15年)12月、設計は大岡實建築研究所、施工は大林組です。

内部は左右の壁一面に経典の収蔵棚があり、天井には金色の下地に丹青画が描かれた壮麗な内装となっています。

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大本堂

川崎大師の大本堂

大山門から入って真っ直ぐの位置には大本堂があります。1951年(昭和26年)に設計が行われ、1952年(昭和27年)~1964年(昭和39年)にて工事が行われました。設計は大岡實建築研究所、施工は大林組です。

構造は鉄骨鉄筋コンクリート造となっており、木構造の工法をそのままコンクリートに置き換えるのではなく、鉄骨鉄筋コンクリートの特色を生かして、骨組をラーメン構造(柱と梁による立体格子状の構造)と鉄骨トラス(三角形の集合体で構成した構造)で作っています。

瓦屋根の軒下の組物の部分など(斗拱など)は装飾だけに留まらせるのではなく、構造材として活用する形で組み上げています。

川崎大師の大本堂

境内には、旧本堂の礎石が置かれています。1834年(天保5年)に建てられ、間口28.8m、奥行32.4m、建築面積957㎡、高さ22m、総欅造りの総銅瓦葺きの立派な建物でしたが、1945年(昭和20年)4月15日未明に空襲によって焼失してしまいました。

再建された大本堂では、あえて鉄骨鉄筋コンクリートの特色を生かして、新しい形の寺院建築が建設されました。

川崎大師の大本堂

鉄骨鉄筋コンクリート造に適した手法として、繰型(くりがた)と呼ばれる雲型の意匠の挿肘木(さしひじき)を用いて屋根を支え、下部を長押(なげし)で支える形になっています。

コンクリートで挿肘木を作った場合、やはりくっつけただけという見た目になってしまう恐れがあったため、長押を用いるなどをして、柱や長押に差し込まれたような見た目に工夫されています。

こうして挿肘木や長押などを構造体として屋根を支えることで、一方で建物自体はラーメン構造として収められています。

川崎大師の大本堂

1階の斗拱は2階と違った形式となっており、柱の上に皿斗(さらと)、その上に大斗(だいと)が乗り、そこから肘木(ひじき)が出て丸桁(がんぎょう)を支える形になっています。

木造の場合は、柱の上に皿斗および大斗を乗せますが、大本堂の場合は鉄筋鉄骨コンクリート造なので、柱はそのまま繋がっている構造になっています。

川崎大師の大本堂

大本堂を側面から見た様子です。破風(はふ。屋根側面の山形に組まれた部材)には立派な金の装飾があり、垂木(たるき。屋根下の連続して並んだ部材)の先にも金の装飾があるため、とても厳かで、かつ華やかな外観となっています。

川崎大師の大本堂

こちらは大本堂の内部。柱は梁、屋根裏の部分が朱色で統一されています。

川崎大師の大本堂

こちらは大本堂の扉。前述の経蔵の扉と同じデザインとなります。

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金剛閣

川崎大師の金剛閣

こちらは大本堂と隣接している金剛閣です。工事期間は1979年(昭和54年)~1982年(昭和57年)11月となり、設計は大岡實建築研究所、施工は大林組です。

大本堂と同じく鉄筋鉄骨コンクリート造であり、3階まで壁になっており、全て格子窓になっているので、堂々たる建ち姿になっています。

川崎大師は日本有数の参拝客数の寺院だけあり、その風格や規模は壮大さを感じます。厄除けにもかなり御利益があるそうなので、観光としても一度訪れていただくことをオススメします。

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その他のエリア

その他のエリアについても別記事でまとめています。是非あわせてお読み下さい。

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アクセス

電話044-266-3420
住所神奈川県川崎市川崎区大師町4-48
アクセス京急大師線 川崎大師駅 徒歩9分
(駅南口を出たら厄除門をくぐり、表参道経由から訪れるのがオススメです。)


参考元:

大岡實建築研究所 ホームページ
開運の神社仏閣・パワースポット – 川崎大師のパワースポット
大本山川崎大師平間寺 経蔵 | かどや開運堂
川崎大師 その3 | きょーちゃんの御朱印日記

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