横浜市の綱島郵便局の隣に、古くからの主屋と長屋門が建っている「飯田家住宅」があり、敷地の南側に綱島市民の森があるため、自然の中に江戸時代の農村風景が残っています。北側の綱島郵便局があった辺りはかつて水田でした。
飯田家は代々、北綱島村の名主を務め、農地開墾・鶴見川改修などに尽力したと伝えられています。
1994年(平成6年)11月1日に横浜市指定有形文化財に指定され、現在でも貴重な茅葺き屋根の主屋と長屋門が保存されています。
今回はそんな飯田家住宅の建築を紹介します。
長屋門
敷地の入口には立派な長屋門が建っており、建築年代は江戸時代後期とみられ、築約300年となります。桁行(幅)18.4m、梁間(奥行)4.3mの規模であり、寄棟造りの茅葺き屋根となっています。
これまでに鶴見川の度重なる氾濫や、1888年(明治21年)に起きた主屋の全焼、1923年(大正12年)の関東大震災、1945年(昭和20年)の太平洋戦争末期の空襲など、数々の難をくぐり抜けてきており、現在でもこうして残っているのは奇跡とも言えます。
しかし、昭和末期頃には老朽化により門の傷みが激しくなり、横浜市の有形文化財の指定を機に、1995年(平成7年)から約1年に及ぶ解体修理工事が行われました。この際、市の文化財保護条例によって補助を受けることができ、無事に工事は完了しています。
正面中央の通路の左側は、出格子窓(でごうしまど)が付く門番部屋と納屋があり、通路の右側は穀蔵(こくぐら)となっています。
こちらが出格子窓。屋根装飾の反り具合が趣を感じます。
門の前には堀があり、飯田家住宅の警備の厳重さが伺えます。門の解体修理工事では、堀の水が鶴見川の氾濫や豪雨によって溢れることによる浸水を防ぐため、元の地盤より30cm程度高さを上げています。
堀の近くには消火栓があり、古民家風に木材で仕上げています。
正面中央の門は閉め切っているため、長屋門の横にある塀から入る形になります。
飯田家の敷地側から見た長屋門の様子です。門番部屋と納屋、穀蔵の入口があります。
門は、横架材をかけることで厳重に閉め切られています。
長屋門に続く石畳のアプローチが、趣のある風景を作り出しています。
主屋
主屋は樹木や草木に囲まれ、自然の中に佇んでいます。1888年(明治21年)に全焼しているため、建築年代は1889年(明治22年)となります。桁行(幅)20.0m、梁間(奥行)8.1mの規模であり、屋根は長屋門と同じく寄棟造りの茅葺き屋根となっています。
1995年(平成7年)に行われた長屋門の解体修理工事と同時期に、主屋の茅葺き屋根の葺き替え作業が行われました。また、22年後の2019年(令和元年)にも、茅葺き屋根の葺き替え作業が行われています。
主屋についても、1889年(明治22年)の建築以降は、関東大震災や空襲などの難をくぐり抜けてきた建物です。
植木の中に埋もれた灯籠が良い味を出しています。
主屋は現在でも生活の場として使用されており、一般公開はされていません。
内部は六ツ間取りといわれる、土間+6つの居間を2×3で配置された間取りとなります。また、間仕切りの柱間(はしらま)に差鴨居(さしがもい。扉上部の横架材の背を高くしたもの)を入れ、中2階としています。
主屋の手前には藤の花があり、春になると紫に染まります。
江戸時代に名主をつとめて来た家柄なだけあり、屋根の棟部分には瓦屋根の箱棟が載った、格式のある構造になっています。
前庭の北側には樹木が豊富に植えられています。
樹木が植えられた庭の中には、灯籠や石碑、石で作られたテーブルなど、情緒あふれる庭園となっています。
庭園内には池もあり、かつては氷を製造して綱島の地域に製氷技術を広めたとされています。
飯田家住宅は、各種学習会や庭園を利用したビアパーティー、地域史研究会などに活用されてきており、現在でも周辺住民に愛されたふるさとのような場となっています。周辺は現代的な風景となっている中、飯田家の中だけは江戸時代そのままの暖かみある風景です。
アクセス
電話 | 045-671-3284 |
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住所 | 神奈川県横浜市港北区綱島台17-5 |
アクセス | 東急東横線 綱島駅 徒歩15分 |
参考元: