「金閣寺」の建築様式の特徴を知った結果、足利義満のとんでもない事実が判明

03.歴史的建築
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京都市の西北にある、観光名所として有名な「金閣寺」は、広大な庭の中にたたずみ、金色に輝くその姿は観光客を魅了し、今も京都の主要な観光名所のひとつとなっています。

正式には「鹿苑寺(ろくおんじ)」と呼ばれているのですが、金閣があまりにも有名なため、金閣寺という通称で知られています。
たしかに鹿苑寺と聞いても、どこの寺?といった感じですよね。
金閣(別名:舎利殿)は足利義満によって建てられたのですが、この建築様式には足利氏の野望が隠されています。

今回はそんな金閣寺について紹介していきます。

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始めは西園寺、その後は足利義満の別荘となった

もともと金閣寺がある土地には、鎌倉時代に藤原一族の西園寺公経(さいおんじきんつね)がこの地に「西園寺」として建立し、併せて同じ境内に北山山荘を建立しております。
鎌倉幕府滅亡後、西園寺家の所領と資産が没収されてしまい、西園寺も修理されることなく荒れ果てていきました。
そこで室町時代に、室町幕府第3代将軍、足利義満がこの土地を譲り受け、応永4年(1397年)、金閣(舎利殿)をはじめとした建物を増築し、北山殿として大改修しました。金閣は北山殿のほんの一部であり、非常に大規模な別荘であったそうです。

このような地に暮らすと、何とも快適でストレスフリーであったか、実際に訪れてみると、なんとなく実感いたします。

ちなみに、この庭園・建築は、極楽浄土を表したとされています。義満は51歳でこの世を去るまで、北山殿に暮らしていました。
義経より、自らが亡くなった後はここを寺にせよと遺言を残し、この世を去りました。
そして長男・義持によって「鹿苑寺(ろくおんじ)」と改められます。この鹿苑寺という名は、義満の法号(僧が死者におくる名。戒名。法名。)である鹿苑院から名付けられました。

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義満の死後の金閣寺は散々なものであった

義経の死後は、北山殿は金閣(舎利殿)を残して解体されてしまっています。
この寺は現在までに、散々な黒歴史がありました。
室町幕府の衰退より鹿苑寺は経済的な打撃を受け、更に応仁の乱によって鹿苑寺の大半の建物が焼失しました。金閣はなんとか焼失を免れましたが、江戸時代まで修繕されることがありませんでした。

引用:金閣寺 最終章 – 感情のおもむくままに © 感情のおもむくままに

戦国時代を経て、徳川家康によって安泰の時代となり再び経済的に回復したため、1649年にようやく大規模な修繕が行われました。
しかしその後は雨風に晒されたりしてまた荒れていくのですが、1906年にまた大規模な修繕が行われています。

そしてまたしても金閣寺はダメージを負うことになり、今度は1950年に放火によって焼失してしまい、貴重な像や巻物も焼失してしまいました。
これは小説になるほど有名な事件だったそうです。
そして1955年、修繕時(1905年)の資料を基に復元されました。
1987年に金箔の張り替え工事を終えています。その時の費用はなんと7億4000万円となり、その内7億円は金箔の費用であったとの事です。改めて金箔の価格の高さを思い知らされますね。
繰り返し行われた修繕。いったい延べでどのくらいの費用がかかっているのでしょうか…。
遂には、1994年に世界遺産として登録され、今に至ります。

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様々な建築様式が取り入れられた変わった構造

3層で構成されている金閣寺は、各層でそれぞれ異なる建築様式となっています。歴史的建造物では非常に珍しい構成だそうです。

第1層 法水院(ほうすいいん)

まず第1層は、寝殿造り(しんでんづくり)であり、法水院(ほうすいいん)と呼ばれています。

引用:涯友会掲示板 ー3月涯友会 北野天満宮~竜安寺 © 2017 涯友会掲示板

中央に宝冠釈迦如来像(ほうかんしゃかにょらいぞう)、その左側に足利義満像が安置されています。
寝殿造りは、中央の寝殿をコの字形に廊下で囲み、東西に釣殿とよばれる離れを廊下でつないだ建築様式となります。平安時代に貴族の住宅に多く用いられました。

引用:「蔀戸(しとみど)」|IKSKI © CyberAgent

土壁等を造らず、木材のみで建てられた素木造りであり、蔀戸(しとみど)と呼ばれる、上下2枚に分かれた板の両面に格子を組んだ戸があります。

第2層 潮音洞(ちょうおんどう)

第2層は、武家造りまたは書院造りであり潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれています。
内部は、岩屋観音像と四天王像が安置されています。

引用:涯友会掲示板 ー3月涯友会 北野天満宮~竜安寺 © 2017 涯友会掲示板

戸は、舞良戸(まいらど)という書院造りの建具に使われるものであり、表側に舞良子(まいらこ)とよばれる桟(さん。細木のこと)を横に細かい間隔で入れた、引き違い戸となっています。
窓は、格子窓となっています。

第3層 究竟頂(くっきょうちょう)

第3層は、禅宗(ぜんしゅう)様式であり究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれています。
禅宗様式とは、ただ座禅を組んで静かに観念を凝らす場所とした建築様式で、中国の宋で用いられていた様式が日本に導入されたものとなります。

引用:涯友会掲示板 ー3月涯友会 北野天満宮~竜安寺 © 2017 涯友会掲示板

内部の天井は、鏡のように平面に板を張って仕上げた鏡天井となっています。
扉は、双折桟唐戸(もろおりさんからど)という、縦横に框(かまち)を組み,間に薄い板を入れ、上部に装飾を入れた、禅宗様式でよく使われる扉です。

窓は、花頭窓(かとうまど)という上部が尖頭アーチ状の窓が用いられています。これも禅宗様式と共に中国から伝わったものです。

屋根

屋根の造りは宝形造りとなり、隅棟(すみむね)という角が中央の一点に集まり,水平の棟が無い屋根となっています。

椹(さわら)の薄い板を重ねたこけら葺きであり、頂点には鳳凰が飾られています。鳳凰は、中国ではめでたい鳥とされております。

工法

第1層と第2層の大きさは、正面5間(約10m)×側面4間(約7.5m)。第3層は正面側面ともに、3間(約5.5m)。高さは12.5mとなっています。

引用:日本の建築技術の展開-12・・・・多層の建物:その2-鹿苑寺金閣 – 建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える

第1層と第2層は、側の柱を通し柱にして、各層の床を大梁で支える構造であり、第3層は、第2層の上に新たに土台を乗せて別途組まれています。つまり、2階建ての建物に平屋建ての建物を乗っけたような、そんな工法となっています。
そして、第2層と第3層にまんべんなく漆が塗られ、その上に金箔が貼られており、第1層は金箔が貼られず建てられたままの姿となっています。

4万坪ある金閣寺(鹿苑寺)の境内は、半分以上が鏡湖池(きょうこち)を中心とする庭園となっていますが、鏡湖池(きょうこち)の周りを歩き、池の反対側に見える舎利殿(金閣)は、実に美しい風景となっており、撮影スポットとなっています。今時の言葉を借りると、インスタ映えする風景ですね。

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建築様式には足利義満の野望が表されていた

天皇家を統一し、圧倒的な権力を手に入れた足利義満は、将軍と天皇の、日本の両権力の頂点に立つことを目指しました。
そしてその義満の考えが、この金閣寺の建築様式に表現されているとの事です。

引用:足利義満 – Wikipedia CC-PD

当時、寝殿造りは朝廷が、書院造りは武家が好んでいました。当時の義満はというと、禅宗の僧として出家していました。

今一度、金閣寺の建築様式を振り返ってみましょう。
第1層は寝殿造り。第2層は書院造り。そして第3層は禅宗様式。つまり義満が、朝廷と武家の上に位置することを示していました。
しかも、第2層、第3層には金箔が貼られているが、第1層には張られていない。これは義満が朝廷の繁栄を望まなかったのではないかと思われているようです。
屋根の上には黄金に輝く鳳凰が飾られていますが、鳳凰は徳のある天子(天皇)が出現した時に姿を現すとされる想像上の鳥なので、その鳳凰を金閣の頂点に置き、新たな天皇に相応しいのは自分であると示している。そんな説が出ています。
隠居のための別荘として建てられたものではあるものの、権威を見せつけるために建てられたと言われています。

自身の考えを、多大なる財産によって別荘にて表現し、しかも死後はお寺として残そうとするとは、義満の強い意志が感じられます。

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ご利用案内・アクセス

拝観時間9:00~17:00
拝観料金大人・高校生:400円
小・中学生 :300円
電話075-461-0013
住所京都府京都市北区金閣寺町1
アクセス<電車>
 京福北野線 北野白梅駅 徒歩20分

<バス>
 市バス 金閣寺道 下車すぐ

※2017年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトでご確認下さい。


参考元:

臨済宗相国寺派
京都おもしろスポット
日本の建築技術の展開-12・・・・多層の建物:その2-鹿苑寺金閣 – 建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える
金閣寺の建築様式の背景にあるものとは? | 日本歴史旅行協会
金閣寺 | 京都の観光スポット | 京都観光情報 KYOTOdesign
京都・金閣寺の御朱印の「種類・値段・待ち時間・混雑状況」お守りの「種類・返納方法」アクセス(行き方)・駐車場などの総合情報サイト
京都市北区~金閣寺(鹿苑寺)~
足利義満が金閣寺を建てた理由やその後の歴史。頂上の鳳凰とは? | 歴史をわかりやすく解説!ヒストリーランド
金閣寺 最終章 – 感情のおもむくままに
涯友会掲示板 ー3月涯友会 北野天満宮~竜安寺
「蔀戸(しとみど)」|IKSKI 
岩 崎 建 築 研 究 室 ・ 日 誌 : 金閣寺
足利義満 – Wikipedia

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