川崎市「日本民家園」の建築【vol.4(神奈川の村・木小屋・舞台)】

03.歴史的建築

川崎市多摩区の生田緑地にある「日本民家園」は、日本各地に建っていた古民家を移築・再生して保存された、貴重な建築が軒を連ねる古民家村となっています。

25件もの再生された古民家が建ち並び、昔の日本の村風景が再現され、味わいのあるゆったりとした場所です。関東の村や信越の村などにエリア分けされている他、高倉や舞台などの建築もあります。

今回は数が多いため4回に分けてお送りします。本記事では神奈川の村、棟持柱の木小屋、船越の舞台の民家を紹介します。

その他のエリアについてはコチラから、是非あわせてお読み下さい。

神奈川の村

北村家住宅

北村家住宅は、もともと神奈川県秦野市に建っていた民家です。柱の先端に墨で建築概要が記されており、1687年に建てられたことや、理兵衛という大工の棟梁の名前などが記録されています。

外観は、屋根が寄棟造茅葺き、そして出入口の左には濡縁(ぬれえん)という、家の外壁から張り出した外部の床が設けられているのが特徴です。

こちらは土間の風景。石臼が置かれています。

こちらは広間。一部が板の間になっているのですが、竹すのこと板の間を用途ごとに使い分けているのが特徴です。竹すのこは必要に応じて上にムシロを敷いています。

天井や屋根裏など、いたる所に竹が使われています。

広間の上部には神棚があり、一角にはダルマが並んでいました。

広間の隣のおく(正座敷)です。私が訪れた時は端午の節句だったため、鎧などが祀られていました。この部屋には床の間などがあり、格式の高い場所です。

北村家は何種類もの作物を栽培しており、悪天候であったとしても朝4時に起きて晩まで作業していた程の忙しさでした。それでも、家の中はいつも綺麗に整頓されていたようです。

清宮家住宅

清宮家住宅は、もともと川崎市多摩区登戸に建っていた民家です。

屋根は寄棟造茅葺きであり、頂上を土の重さで押さえて、その土が落ちないよう草花を植えて根を張らせています。

このような屋根を芝棟(しばむね)と呼ばれ、春になるとイチハツの花が咲き、外観が色づきます。

こちらは、でえどこ(土間)。他の民家えには大戸口(メインの出入口)の他に勝手口があるのですが、清宮家にはそれがありません。これは、家のすぐ前に小川があり、そこに流しが設けられていたためです。

土間を上がったところは、囲炉裏のある広間があり、広間を中心とした間取りとなっています。

広間の隣はでえ(座敷)があり、訪れた客をもてなす場となっています。広間は日常生活で使っていましたが、でえを使っていたのは行事や接待の時くらいでした。嫁を迎える時は自宅で結婚式を行い、披露宴では広間とでえの間の建具を取り、2間続きにして広い空間をとって行っていたそうです。

また、広間とでえの裏にはそれぞれ寝室と考えられる小部屋があり、広間とでえの約3分の1の広さとなります。これは、神奈川県の古民家によく見られる様式です。

清宮家は大工を生業としており、1887年(明治20年代)に始めてから今もなお建築業を営んでいます。清宮家があった登戸地区では建具屋がなく、住宅建築の他に建具の作成も行っていました。

伊藤家住宅

伊藤家住宅は、もともと川崎市麻生区に建っていた民家であり、日本民家園誕生のきっかけとなった民家です。

外観は、屋根は入母屋造茅葺きであり、部分的に苔が生えて年季が入ったような感じです。正面にある格子窓はシシよけ窓と呼ばれており、関東の古民家には一般的に用いられていました。

土間は、お釜などが置かれている台所と、味噌樽が並んでいるみそべやに分かれています。

囲炉裏のある広間は家の中央部にあり、囲炉裏より後方は台所、前方は日常生活および接客の場として使われ、仕切りはないものの、場所によって機能を分けていました。

土間と広間の境の一番奥に炊事場があり、すわり流し(画像左)と、棚にはいくつもの水がめが置かれています。割と広めの流し台なので、作業がしやすそうですね。

広間の隣には、でい(座敷)へや(寝室)があります。でいは正式な座敷であり、外側には土庇(どびさし)に縁台を置き、客をそこから入れていました。

魔除けのための、マグロの尾が掲げられています。マグロの尾以外にも、家の出入口には様々な魔除けが付けられていたそうです。

伊藤家は仕事が忙しく、休みは月に2回ほどしかなかったそうですが、そうした中でも、簡易水道を引いたり、食卓をテーブルとイスにしたり、オート三輪に乗ったりと、いち早く新しい生活様式を取り入れていました。

蚕影山祠堂

蚕影山祠堂(こかげさんしどう)は、もともと川崎市麻生区の東光院境内に建っていた、養蚕(ようさん)の神である蚕影山大権現(こかげさんだいごんげん)を祀っている祠堂です。

中に宮殿(くうでん)が入っており、それを覆堂(さやどう)で覆っている形になります。覆堂の屋根は、正面が入母屋造、背面が寄棟造茅葺き。清宮家住宅と同じく、頂上に土を乗せて草を植える芝棟(しばむね)であり、春にはイチハツが咲きます。

この中に入っているのが宮殿となります。宮殿は、正面に唐破風(からはふ)という頭部に丸みをつけた屋根を形成しており、彫刻を施しています。

宮殿には、金色姫(こんじきひめ)伝説を表現した彫刻があります。金色姫伝説とは、4度の大苦難の後、馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)の化身として日本に養蚕を伝えたお話です。馬鳴菩薩とは、貧しい人々に衣服を与える養蚕などの守り神です。覆堂の中に入ることは出来ないので、間近で彫刻を見ることはなかなか難しいですが。

すぐそばには、お清めをする手水舎(ちょうずや)が設置されています。

岩沢家住宅

岩沢家住宅は、もともと神奈川県清川村に建っていた名主(なぬし)を務めた農家です。

屋根は、入母屋造茅葺きとなります。

こちらは土間。土間を上がったところは、ざしきと呼ばれる広間があります。部屋名が少しややこしいですね。

こちらが、ざしきという名の広間。間取りはこの広間を中心として、その奥にはでえ(座敷)と、へや(寝室)からなる広間型三間取りとなっています。

建築当時、広間は全て板の間だったのですが、後に、囲炉裏のある板の間と、畳敷きの座敷に分けられました。その境には大黒柱が立ち、子供達が毎朝その大黒柱を磨いていたエピソードがあります。また、畳敷きの座敷の外側には縁側があり、縁側を舞台に芝居を披露していた歴史もあります。民家園への移築では、建築当時の全て板の間の姿で復原されています。

岩沢家では炭焼きや養蚕を生業としており、養蚕については主に広間を使っていました。

広間の隣のでえです。でえの外側正面部分を少し後退させており、ここに出入口を設けて客をもてなしていました。この部屋には、床の間の前身である押板(上画像の奥の開口部の右側)を設けています。

岩沢家に限った事ではないですが、民家の構造は、高い柱が立つ上屋(じょうや)と、その周囲の低い柱が立つ下屋(げや)で構成されています。梁や叉首(さす。梁上に2つの木材を合掌形に組んだ部材)の長さには限界があるため、空間を大きく取るために、上屋の周囲に下屋という低い空間を付け加えています。

梁の両端を観察すると、上屋と下屋の高低差や、屋根の勾配に合わせてうまく加工されているのが分かります。

船頭小屋

船頭小屋は、もともと川崎市多摩区にあった、船頭(せんどう。船を漕ぐ職人)が客待ちをした小屋です。多摩川をはさんで、菅(すげ。川崎市多摩区)と調布(東京都調布市)を結ぶ渡船場(とせんば)にありました。

玉石(たまいし)の上へ井桁状(いげたじょう)に土台を組み、その上に柱を立て、切妻造杉皮葺きの屋根を乗せた、小さな小屋となっています。背面の板壁には小さな窓が設けられ、そこから対岸の客の様子を見ることが出来るように作られました。

中はこのように簡易的な囲炉裏があり、お茶休憩が出来るようになっています。

外の柱には鉄の輪が四隅に付いており、大雨などによる洪水の際には、丸太を通して担いで小屋ごと移動させていました。大雨の中、小屋を担いで運ぶのは大変な労力が必要かと思います。いかに、大切にされて来たのかが分かります。

棟持柱の木小屋

棟持柱(むなもちばしら)の木小屋は、もともと川崎市多摩区生田に建っていた、薪(たきぎ)や落ち葉などを蓄えておくための小屋です。

屋根は切妻造の杉皮葺きで、柱は掘立式(ほったてしき。地中に約33cm埋めて立てる工法)となり、2本の棟持柱棟木(むなぎ)と屋根を支えます。

柱は耐久性や耐水性のあるクリの木が使われ、壁は杉板の切端(せっぱ。木材を切り取った残りの一片)を打ち付けています。

船越の舞台

船越の舞台は、もともと三重県志摩市に建っていた歌舞伎を披露する舞台です。1857年(安政4年)に建築され、1924年(大正13年)に老朽化のため補修されました。

屋根は、正面が入母屋造、背面が切妻造桟瓦葺きとなっています。舞台両脇の張り出した窓は出語り(でがたり)という部分で、語りや演奏、小道具などが仕込まれていました。上画像の左下に見えている部分は花道となります。また、下手(正面向かって左)側および舞台の背面、中二階には楽屋が設けられています。

こちらは舞台の上。床に円形に切り込みが入っていますが、これは廻り舞台であり回転する床となっています。

こちらは舞台を見上げた様子。花吹雪を降らせたりするのに使うすのこが渡っています。

その他、セリアゲ(舞台床の一部を上下に昇降させる装置)のある花道など、江戸時代に建築されていながら、様々な舞台装置が備えられています。

屋根の頂上の瓦に刻印されている「」の文字は、若者組が舞台の設立と運営を行っていたことを示しているものとなります。両側には華やかに作られた瓦が飾られ、貫禄のある意匠です。

こちらは船越の舞台の裏側から見た様子です。裏側には、奈落(廻り舞台の下)に入るための通路があります。

※現在、コロナ対策のため内部の公開を休止しています。

※コロナ禍になる前に撮影した画像となります。

奈落は、地面を円形に掘り下げて周囲を石垣で固めています。廻り舞台の下に付いている木の棒にて、数人で人力で回す仕組みになっています。

日本民家園は、昔の日本の生活を目で見て触れることが出来る、貴重な建物が並んだ名所となります。昔の生活を体感するためにも、一度足を運んでみては。

その他のエリア

その他のエリアについても別記事でまとめています。是非あわせてお読み下さい。

ご利用案内・アクセス

開館時間3~10月:9:30~17:00(入館は16:30まで)
11~2月:9:30~16:30(入館は16:00まで)
休館日月曜日(祝日の場合は開園)、祝日の翌日(土日の場合は開園)、年末年始
入館料大人   :500円(400円)
高・大学生:300円(240円)
中学生以下:無料
65歳以上 :300円(240円)
※()内は団体料金(20名以上)
電話044-922-2181
住所神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-1
アクセス<電車>
 小田急線 向ヶ丘遊園駅 南口より徒歩13分
 JR南武線 登戸駅 生田緑地口より徒歩25分
<バス>
 向ヶ丘遊園駅から川崎市バス(溝口駅南口 行) 生田緑地入口 下車徒歩3分
 向ヶ丘遊園駅から東急バス・川崎市バス(たまぷらーざ駅 行) 生田緑地入口 下車徒歩3分

※2021年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトでご確認下さい。


参考元:

川崎市立日本民家園ホームページ

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