川崎市多摩区の生田緑地にある「日本民家園」は、日本各地に建っていた古民家を移築・再生して保存された、貴重な建築が軒を連ねる古民家村となっています。
25件もの再生された古民家が建ち並び、昔の日本の村風景が再現され、味わいのあるゆったりとした場所です。関東の村や信越の村などにエリア分けされている他、高倉や舞台などの建築もあります。
今回は数が多いため4回に分けてお送りします。本記事では関東の村、東北の村、沖永良部の高倉の民家を紹介します。
その他のエリアについてはコチラから、是非あわせてお読み下さい。
関東の村
作田家住宅
作田家住宅は、もともと千葉県九十九里町に建っていた漁家の民家です。ただ漁家ではあったものの、漁具小屋は主屋とは別に海岸近くにあり、主屋は内陸にあったため漁具は置いておらず、漁村の家の雰囲気はありません。
屋根は寄棟造の茅葺き、外観は2棟の住宅が接して建っているような分棟型(ぶんとうがた)となっています。
少し分かりにくい画像で申し訳ないですが、互いの屋根を、クリの丸太は半割にして中をくり抜いて作った雨樋によって繋いでいます。
作田家の女性は外出時、駕籠(かご。人が座るカゴを一本の棒に吊し、2人で棒を前後から担いで運ぶ乗り物)を使っており、駕籠の棹の寸法に合わせて大戸口(おおどぐち。出入口)の間口の広さが作られています。
こちらは土間となっており、奥にはお釜や流し台などの調理場があります。
土間の近くには、囲炉裏のある広いスペースのかみという部屋があります。
「かみ」の奥の方(画像右奥)には、床の間の前身である押板や仏壇が設けられ、また、「かみ」の隣には座敷があります。作田家は網元(あみもと。漁網や漁船を所有する漁業経営者)であったため、格式の高い内装となっています。
作田家の主人はダンナサマ、妻はジョウサマと呼ばれていただけあって、高貴な感じの民家となっています。また、大漁の時はジョウサマに一刻も早く伝えるため、漁師の一人が主屋まで全裸で駆けつけたエピソードがあります。
広瀬家住宅
広瀬家住宅は、もともと山梨県甲州市に建っていました。
屋根は切妻造の茅葺きであり、頂上の棟部分にはいわひばを植えた芝棟(しばむね)になっています。内部は4本の太い柱を中心にして建てられた、四つ建てと呼ばれる甲州の古くからの工法が使われています。また強風から家を守るため、軒が低く作られており、低い位置まで茅葺き屋根が来ています。
甲府盆地の民家は妻壁(屋根の棟の直角方法の壁)に柱を見せて、屋根中央を突き上げ二階とする形式が多くありました。
こちらが突き上げ二階に続く部分です。この家が建築された当初は二階がなかったのですが、屋根裏を養蚕(ようさん)に利用するため、突き上げ二階が増設されています。
内部に入ると土間があり、土間のすぐ隣には高さが同じレベルのいどこと呼ばれるムシロが敷かれた居間があります。地面を突き固めて、そこに茅束(かやたば)を敷き詰め、その上にムシロが敷かれているため、クッション性があって暖かく、寒い地域によく用いられた手法です。このような床を土座(どざ)といいます。
こちらは座敷。ムシロが畳敷きのように並べられています。
ちなみに広瀬家には風呂がなく、土間でタライを使って行水していました。
広瀬家に限った話ではありませんが、茅葺き屋根は茅と茅の間に空気層があるため熱を伝えにくく、断熱性や保湿性に優れています。また、夏は太陽高度が高いため直射日光が家の中に入るのを防ぎ、逆に冬は太陽高度が低いため室内に暖かい日の光を取り入れられます。
太田家住宅
太田家住宅は、もともと茨城県笠間市に建っていた分棟型の民家です。
屋根は寄棟造の茅葺きで、その屋根が2つ連なり、丸太を半割にして中をくり抜いた大きな雨樋によって繋がれています。
雨樋には、茅葺き屋根のゴミが溜まりやすかったため、大雨の時はハシゴを掛けて屋根に登り、ゴミを取り除いていたそうです。見るからにゴミが溜まりやすそうな雨樋です。
大戸口から入ると土間の右手には馬屋が、左手には広いスペースの広間があります。馬屋は地面が傾斜しており、おしっこが1ヶ所に溜まるようになっていて、それを肥料にしていました。
広間を家の中央にもってくる広間型三間取りとなっており、広間は開放感のある空間となっています。
広間には、両端が曲がっているチョウナ梁が何本かかけられており、土間と広間の境の柱を省略して、大空間を実現しています。
広間の隣には、寝室であるへやと、畳敷きの座敷があります。座敷にお客さんを招き入れる際は、外から直接、座敷に入れていたそうです。
娯楽がまだ少ない時代、太田家では映画を上映することがありました。部屋の間仕切りの所にスクリーンを張り、土間を客席にして上映を行っていました。古民家の中で映画鑑賞というのは新鮮な感じがしますね。
東北の村
工藤家住宅
工藤家住宅は、岩手県紫波町(しわちょう)に建っていた民家です。
屋根は寄棟造の茅葺きであり、南に馬屋が突出(画面左)したL字型平面となっており、南部馬の飼育が盛んになった江戸時代中期頃に出てきた様式だと考えられています。
馬屋を覗くと、工藤家が飼育している馬がいます。馬屋は地面に傾斜が付いて、おしっこが1ヶ所に溜まるようになっており、それを肥料にしていました。
工藤家は馬とともに生きた暮らしをしており、馬屋の面積は他の民家よりも広く、ごちそうを食べる大晦日には馬にも小麦などの良い物を食べさせていました。また、冬は飲み水を釜で温めて飲ませていました。馬が病気になると、馬専門の医者に診せて薬を飲ませて、それでも死んでしまった時は近くの山にあった馬の墓に埋葬し、そこにワラで馬を作って祀っていました。まさに、馬を愛し共に生きていた歴史があります。
馬屋の隣には、にわと呼ばれる土間があり、土間の隣にはだいどこ(台所)があります。
だいどこにある囲炉裏は、にわからも利用出来るようになっています。工藤家は岩手県の冬の寒さが厳しい地域にありましたが、囲炉裏の火によって家全体を暖めていました。
暖まるまで時間がかかりそうですが、全体を暖めることで部屋と部屋との温度差がなくなり、ヒートショック(急激な温度差により血圧が大きく変動することで病気をを引き起こすこと)が起こりにくくなるので、健康面でもプラスに働きます。
だいどこの隣には、日常生活の場であるじょういや、ちゃのまがあります。戸が開いていると、かなりの大空間であることが分かります。
じょうい、ちゃのまの隣には座敷や下座敷があり、お客さんを招き入れていました。
菅原家住宅
菅原家住宅は、もともと山形県鶴岡市に建っていた民家です。
屋根は寄棟造の茅葺き。その屋根には、高ハッポウおよびハッポウが付いているのが特徴です。高ハッポウとは、上画像の屋根が台形に作られ障子窓が設けられた切上窓です。
そしてハッポウとは、上画像の屋根左側にある高窓です。
この高ハッポウおよびハッポウは養蚕(ようさん)のために設けられ、菅原家がある地域に多く分布していた形式となります。
豪雪地帯であったため、家を雪から守るために軒から下を茅で囲う雪囲いや、家の周囲に池を巡らせて浄水とともに消雪をする対策を施していました。
出入口はあまやと呼ばれる前室があり、これも冬の寒さから守る工夫となります。あまやには中二階があり高ハッポウ部分となっていて、豪雪によって雪が高く積もると高ハッポウから出入りしていました。
食料の保存にも様々な工夫が行われており、床下にもろと呼ばれる貯蔵庫や、雪を積んだ天然の冷蔵庫も作られました。さらに漬け物なども作られ、長い冬を過ごすための栄養源としていました。
こちらはにわと呼ばれる土間となっており、周囲は物置で囲われて冬の寒さを軽減します。
土間からさらに入ると、おめえやしもでといった囲炉裏のある部屋があります。
しもでの隣には、かみでと呼ばれる座敷があり、床の間やあみださま(床の間の隣の戸が閉まっている部分)という小部屋があります。
沖永良部の高倉
沖永良部の高倉は、もともと鹿児島県和泊町(わどまりちょう)にあった農作物などを保管しておく貯蔵庫です。
屋根は寄棟造の茅葺きであり、脚柱の上に乗る倉となります。床下が高くなっているのは、食料を湿害から防ぐほか、小動物から食べ物を守るためです。また、高倉の下にはスペースがあるため、子供の遊び場や作業場などで使われていました。
脚柱には、イジュという小動物にとって毒性のある木を使用しています。また、柱頭に鉄板を巻き、すべって登れないように施しています。
台風から高倉を守るため、周囲には石垣を設けています。もともとは珊瑚礁岩で石垣を作っていました。その珊瑚礁岩は、円柱の礎石として使用しているもののみとなります。
入口には、ギザギザに刻みを付けた一本のはしごをかけて登っていました。食料を運びながら登り降りするので、少し不安定そうで怖いですね。さすがに、一般の人は入れませんでした。
日本民家園は、昔の日本の生活を目で見て触れることが出来る、貴重な建物が並んだ名所となります。昔の生活を体感するためにも、一度足を運んでみては。
その他のエリア
その他のエリアについても別記事でまとめています。是非あわせてお読み下さい。
ご利用案内・アクセス
開館時間 | 3~10月:9:30~17:00(入館は16:30まで) 11~2月:9:30~16:30(入館は16:00まで) |
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休館日 | 月曜日(祝日の場合は開園)、祝日の翌日(土日の場合は開園)、年末年始 |
入館料 | 大人 :500円(400円) 高・大学生:300円(240円) 中学生以下:無料 65歳以上 :300円(240円) ※()内は団体料金(20名以上) |
電話 | 044-922-2181 |
住所 | 神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-1 |
アクセス | <電車> 小田急線 向ヶ丘遊園駅 南口より徒歩13分 JR南武線 登戸駅 生田緑地口より徒歩25分 <バス> 向ヶ丘遊園駅から川崎市バス(溝口駅南口 行) 生田緑地入口 下車徒歩3分 向ヶ丘遊園駅から東急バス・川崎市バス(たまぷらーざ駅 行) 生田緑地入口 下車徒歩3分 |
※2021年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトでご確認下さい。
参考元: