「東京駅丸の内駅舎」の建築の歴史を知れば駅の観光を10倍楽しめる

02.近代建築
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東京駅の顔であり、今や観光スポットとなっている丸の内駅舎は、1914年に創建されました。
一度、東京大空襲で被害に遭いましたが、その後の戦災復興工事が1945~1947年に行われました。
その60年後、創建当時の姿に戻すための保存・復原工事が2007~2012年に行われ、現在は創建当時の姿に復原されています。

1914年創建時の丸の内駅舎の設計者は辰野金吾氏であり、日本銀行などを手がけた建築家です。鹿鳴館やニコライ堂などを手がけたジョサイア・コンドル氏の弟子になります。

今回はそんな東京駅の丸の内駅舎の歴史と、その歴史を感じられる見所を紹介します。

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東京駅が歩んだ歴史

始めに、東京駅舎が歩んだ歴史から紹介します。1914年の創建から100年余りの間に様々な変化を遂げました。

創建

東京駅の創建プロジェクトは、日清・日露戦争などの影響があり、計画・設計の段階だけで、実に約7年もの長い年月を要しました。さらにその際の工事は6年9ヵ月もの時間がかかりました。

1910年に市街高架線が、1914年12月に中央停車場が完成し、この停車場は「東京駅」と名付けられました。

始めは、ベルリンで鉄道の建設に従事した建築家、フランツ・バルツァー氏が、機能ごとに4棟の建物(改札所、集札所、皇室用玄関、電車専用出口)を配置し、和風建築の意匠を提案しました。しかし、当時は西欧建築が流行していた時代。日本の鉄道関係者には受け入れられなかったようです。
以下が、フランツ・バルツァー氏が提案した東京駅舎の模型です。

その後、辰野金吾氏に託されたのですが、バルツァー氏の案である施設や構内配置はそのまま踏襲されていました。バルツァー氏は計画のベースを作る役割を果たした訳です。辰野金吾氏はバルツァー氏の仕事を無駄にはしませんでした。

外観デザインは、辰野金吾氏がイギリスに留学していた頃に流行していたクイーン・アン様式に影響を受けていると言われています。
クイーン・アン様式とは、18世紀前期のイギリスにてアン女王の時代に流行した様式で、左右非対称なデザインに、レンガや八角形の塔、寄棟屋根などが特徴です。
以下が、創建当時の東京駅舎の模型です。

なお、日本では地震が多いため、鉄骨レンガ構造が採用されました。

戦災復興

1945年の東京大空襲によって、ドームや屋根、3階部分などを焼失し、駅舎は大きな被害を受けました。

戦後は、戦災復興工事が行われ、駅の機能の回復と建物の安全確保を急ぐため、応急処置として3階部分を撤去して2階建てとしました。ピラスターとよばれる装飾用の付柱は短くし、3階部分にあった柱頭飾を2階へ移設しています。

これが、外壁に設置されたピラスター上部にある柱頭飾です。

また、南北ドーム屋根は、ジェラルミン製の簡易的な八角屋根になり、屋根の内側に焼け残った装飾を残したまま屋根で覆われました。
以下が、戦災復興工事による東京駅舎の模型です。

当初、戦災復興工事は4~5年をもたせることを想定して作られましたが、結局、2007年までの60年間、そのまま使い続けられました。震災が来ていたら危なかったですね。。

保存・復原

東京駅は、丸の内のビル高層化が進む中、丸の内駅舎は高層化しないため、空中権を売却して得られた資金にて保存・復原工事を行いました。100年先も使用することを見据えた復原という考えで、地下の免震対策も行われました。

免震レトロフィットという、既存の建物の基礎に免震装置を設置する工法となり、1万1000本の松杭、免震アイソレータオイルダンパーを使用しています。
免震アイソレータは、積層ゴムなどによって地震の揺れを吸収し、建物へ衝撃を伝えないようにするもの。オイルダンパーは、筒状の金属と棒の間に粘り気のある油を入れ、その油の抵抗力で衝撃を吸収するものです。

免震アイソレータ、オイルダンパーの施工例の断面図

屋根については、創建当時は天然のスレート屋根で葺かれていました。戦災復興工事で応急的に鉄板葺となりましたが、1990年に再び天然スレートに葺き替えられました。保存・復原工事でもスレート屋根が利用されています。

天然スレートは宮城県産。生産工場が東日本大震災の被害に遭ってしまいましたが、奇跡的にも天然スレートは無事であり、工事を続けることが出来ました。
以下が、保存・復原工事による東京駅舎の模型です。

ちなみに、中央屋根の裏側はガラス張りとなっており、東京ステーションホテルのラウンジに光りを取り入れています。

こうして、創建からおよそ100年。東京駅丸の内駅舎は創建当時の美しい姿に再生されました。

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外観で歴史に触れる

駅舎は南北335mにわたり、最高高さ46mになります。駅周辺の高層化が進む中、東京駅舎は100年前と変わらない姿で佇んでいます。

復原した3階部分は鉄筋コンクリート、保存の2階部分は構造レンガ、外壁は化粧レンガで構成されています。

外壁をよく見ると、保存部分と復原部分の境目が見えます。使用されたレンガは復原部分の化粧レンガだけで約40万枚も使われました。

装飾用の付け柱であるピラスターや、窓周りの装飾など、西欧の文化を取り入れた明治・大正時代らしさのあるデザインです。

また、前述でも紹介しましたが、黒い屋根は宮崎県産の天然スレートが使われ、洋風に仕上げています。天然スレート屋根は、ヨーロッパではよく使われています。

写真は南ドームの屋根です。天然スレート屋根に、特徴的な小窓が目をひかれます。

西洋風に仕上げているだけあり、多くの繊細な装飾によって、壮麗な外観を作り上げています。

こちらは皇室用玄関であり、やはり豪勢な造りとなっています。丸柱を使用しているせいか、まるで神殿の入口のようなデザインです。

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東京ステーションギャラリーで歴史に触れる

東京駅の中には、東京ステーションギャラリーがあり、そこでは創建当時のレンガが間近で拝見出来ます。
別途、東京ステーションギャラリーで行われた展示会について記事にしていますので、こちらも是非。

ギャラリー内部の螺旋階段には、2~3階の継ぎ目、戦災で焼けたレンガがそのまま、戦時中の爪痕を残しています。

ちなみに螺旋階段はドームの内部となっており、アール・ヌーヴォーを意識した花のような照明が設置されています。

また前述でも紹介しましたが、東京ステーションギャラリーには創建前の案、創建当時、戦災復興時、復原時の模型やプレゼンテーションが展示されています。

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様々な装飾で彩られた南北ドーム内の天井

東京駅の見どころと言えば、やはり南北ドーム内の天井は外せません。1階から3階まで吹き抜けているので、1階から見上げた八角形の天井は迫力があります。

撮影:ぱくたそ

創建当時の姿に復原された、漆喰塗りの鷲、太閤秀吉の兜、剣、干支のレリーフによって、天井を彩っています。

鷹のレリーフです。

干支のレリーフです。これは辰のレリーフですね。

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東京駅舎を彩る丸の内

東京駅前の丸の内一帯は、1933年に美観地区に指定され、都市景観の保護のため、建物の高さが31m以下に規制されていました。
その後、急激な東京都への人口集中により、1963年に建築基準法に容積率法が導入され、規制が撤廃されました。それにより、超高層化が加速していきます。

撮影:ぱくたそ

東京駅前の広場はこのように広々としており、広場から見える東京駅舎の姿は絶景です。
広場も東京駅舎のデザインと合わせるように、花壇などで彩っています。

東京駅周辺の建物は、31m規制時代のビルをそのまま残し、その上に高層化したビルを構築しているのが特徴です。

撮影:ぱくたそ

夜の東京駅舎は、昼の表情とはまた違い、まるでイルミネーションのような綺麗な演出をしています。

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建築概要

創建時(1914年)

設計辰野金吾(辰野葛西事務所)
施工基礎:杉井組
鉄骨:石川島造船所
建築:大林組
ホテル内装:清水組 他
構造鉄骨レンガ造
階数地上3階、地下1階
建築面積約7,800㎡
延床面積約23,900㎡
長さ約335m
最高高さ約46.1m(フィニアル含む)
軒高約16.7m

復原時(2012年)

設計東日本旅客鉄道株式会社 東京工事事務所
東京電気システム開発工事事務所
東京駅丸の内駅舎保存・復原設計共同企業体
(株式会社ジェイアール東日本建築設計事務所
 ジェイアール東日本コンサルタンツ株式会社)
施工東京駅丸の内駅舎保存・復原工事共同企業体
(鹿島・清水・鉄建 建設共同企業体)
構造鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造、鉄骨鉄筋コンクリート造)
※復原部分
階数地上3階(一部4階)、地下2階
建築面積約9,800㎡
延床面積約43,000㎡
長さ約335m
最高高さ約46.1m(フィニアル含む)
軒高約16.7m
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アクセス

住所東京都千代田区丸の内1-9-1


参考元:

・東京ステーションギャラリー展示
東京駅が街になる Tokyo Station City
第31回台日工程技術検討会 東京駅丸の内駅舎保存・復原

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