建築家・安藤忠雄氏が設計を手がけた「光の教会」は、安藤氏の強いこだわりが詰まっています。2017年には国立新美術館にて安藤忠雄展が開催され、原寸大の光の教会が再現されるほど、思いの強いものとなっています。
安藤忠雄氏といえば、表参道ヒルズや渋谷駅、上野毛駅などを手がけ、プリツカー賞(建築界のノーベル賞)を受賞するなど、世界で活躍する建築家です。
大阪府茨木市にあり、キリスト教プロテスタント系の教会となり、正式名称は茨木春日丘教会となります。主に、信者の礼拝や葬式などを執り行う教会です。
今回はそんな光の教会を、美術館に再現された教会の画像を使って、紹介したいと思います。
素材にこだわった荘厳な教会
大阪にある光の教会(茨木春日丘教会)は、1989年に竣工され、総工費は3500万円となります。
一番の見どころである礼拝堂は、 18×6×6mの直方体の箱に斜めに貫くように壁が配置され、その壁によって開かれた部分が出入口となっています。出入口から差し込む光もまた、美しく映えます。
礼拝堂に入ると、十字型に開けられた壁が出現し、緊張感のある荘厳な空間が現れます。
コンクリートで囲まれた暗く静寂な空間の中に十字型の光が入り込み、その姿が実に美しく映えます。
床や、礼拝堂に置かれた椅子は、作業現場によく使われる足場板にオイルステインで黒く塗装され、入ってきた光によってより荘厳な雰囲気を出しています。
なぜ足場板を用いられたかというと、荒々しい素材を使うことによって光をにじませることで、より荘厳さが増すからです。
差し込んだ光が足場板の床に落ちている様子です。荒々しく光り、荘厳な空間を作り出しています。
国立新美術館にて実物大に再現された
2017年に国立新美術館にて安藤忠雄展が開かれ、光の教会が再現されました。(この記事で紹介している画像は再現されたものになります。)
大阪の光の教会(茨木春日丘教会)では、十字架部分にガラスが取り付けられていますが、美術館に再現された光の教会にはガラスは付けられていません。
ガラスを付けない方が、光が直接入り、緊張感のある雰囲気を作り出すという考えから、大阪の光の教会でも十字架部分にガラスを取り付けない予定だったそうです。
しかし建築主からは、雨が入り、冬が寒くなるため抵抗されました。そんな室内環境の関係から、やむなく取り付ける事になりました。
しかし、美術館で再現された光の教会ではガラスを取り付けずに再現され、見事、安藤忠雄氏が理想としていた教会の姿となりました。
実際に中に入ったところ、季節が秋頃だったこともあり、やはり寒かったですが。。
また大阪の光の教会では、元々少ない予算のもと作る計画でした。
しかし、十字架は壁の上下左右に、壁の一番端の部分まで切込みを入れており、上部の重いコンクリート壁は、天井からぶら下がっている状態になっているため、それを支えるべく鉄筋の量は増大しました。
建設会社側からは、鉄筋量を減らすため光の十字架の腕部分を短くする提案を安藤氏にしました。しかし安藤氏は譲らず、建設会社はコストダウンを他の部分で行ったそうです。
安藤氏の中では、壁の両端部まで切れ込んでいるべきだと考えていました。
確かに十字架の腕を短くした場合、十字架自身の存在感が小さくなり、このような緊張感のある荘厳な空間になることは無かったでしょう。
十字架から入る光が壁にも当たり、十字架の存在感を大きくしています。
安藤氏はこのような空間にする意図を、建築主や施工主などに粘り強く交渉し、その熱意によって光の教会は完成しました。
茨木春日丘教会 建築概要
国立新美術館に再現されたのは礼拝堂のみですが、大阪の光の教会(茨木春日丘教会)は礼拝堂の他、日曜学校、牧師館もあります。
以下の建築概要は、礼拝堂部分となります。
設計 | 安藤忠雄、水谷孝明 安藤忠雄建築研究所 |
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施工 | 竜己建設、一柳幸男 |
工期 | 1988年5月~1989年4月 |
延床面積 | 113.045㎡ |
階数 | 地上1階 |
構造 | 鉄筋コンクリート造 |
茨木春日丘教会 アクセス
住所 | 大阪府茨木市春日丘4-3-50 |
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アクセス | 大阪モノレール彩都線 阪大病院前駅 徒歩11分 |
参考元: